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■ Camera クローネンバーグのカメラ

カナダ映画祭2001プログラム表紙 カナダ映画祭2001
2001年4月24日〜30日
赤坂国際記念フォーラム
アニメ・短編Bプログラムにて上映
公式プログラム中の記載ページ
クローネンバーグの Camera 2000/6min
『裸のランチ』、『クラッシュ』、『イクジステンズ』と、エッジの利いた作家性を発揮するデヴィッド・クローネンバーグが、トロント国際映画祭25周年を祝って製作した作品。老俳優の家に、撮影機材を持った子供たちが入り込んでいる。俳優はカメラに対して複雑な想いを抱いていた。彼にとってカメラは、老いをもたらし、死を意識させる疫病の元凶なのだ。そうした俳優のモノローグのかたわらでは、子供たちが撮影の準備に余念がない。やがてカメラがまわり、撮影が始まる。そのとき俳優は…。クローネンバーグが若い頃に抱いた妄想をもとにした6分。素直な語り口のなかに、彼の映画に対する想いがにじみ出ている。

公式プログラム中の記載ページより引用

4月27日(金)14:00〜
前売り1回券 \1,000
フィルムにて上映/字幕無し
(1)クローネンバーグのカメラ
(2)ブリー・ダンス(アニメ)
(3)巣穴戦争(アニメ)

『クローネンバーグのCamera』 Camera
監督;デビッド・クローネンバーグ(2000年/6分/実写短編)

<あらすじ>
 年老いた俳優の家に、何処からか見つけてきた古いカメラを持ち込む子供達。
老俳優は楽しそうに撮影準備をする子供達を見ながら、カメラに向かって心情を語り始める。俳優として旬が過ぎた今、カメラと自分、時間、死とは何か。
 死が全てにおいて関係していることは、俳優にとっては特に現実的な問題である。子供達が家の中にカメラを持ちこんで、この瞬間を撮影されるのはいい気がしない。この「時」を撮るということは、死を撮るとこ。子供と死との組み合わせが不安にさせる。だが、楽しそうな子供達を見ていると,カメラを家から出してくれとは言えない.でも,そんな古いカメラにふと同情を感じた.僕もカメラも一緒に年を重ねているんだ。まるで長年連れ添った夫婦のように・・・。悲しくなってくる。結局は、子供達は楽しそうで、これらの事がピュアで純粋である限りピュアで純粋なのだろう。
 子供達が撮影を開始する。老俳優は語り始める。

当日配られたコピー資料より引用


当日配られたコピー資料

■完全ネタバレ感想文

   というわけで、ビデオドロームのコンヴェックスでおなじみレスリー・カールソンが、全編カメラに向かって語りつづける構成のため、ヒアリング能力が甘い私は、あっという間に呼吸困難に…あらかじめ配られた日本語の資料を頼りに、なんとか6分間を生き長らえた。
…というのは大げさだが、たった6分間なのに字幕がないとつらかったのは正直なところ…。6分の映像中、90%近くは映画の撮影準備中に、カールソンがカメラに向かって語る独白?といった印象である。準備をするのが、てきぱきとした「子供」ばかりではあるのだが…。で、子供たちによって準備万端となった最後、ハワード・ショアのサントラ!がついて、あらためて「冒頭のセリフ」がそのまま繰り返され、映画は終わる。

   一見、リアルな独白に見えた俳優の告白が、実はまんま「セリフ」だった…というオチになるのだろうが、独白しているのがそもそも俳優の設定だから、「セリフ」はただ繰り返されただけで、俳優本人の「本心」なのか「単なるセリフ」なのか、わからない!ところがミソなのだろう。

なんとなく「eXistenZ」を連想したが、「camera」は、クローネンバーグの「映画」に関する小論なのだろう、と素直に感じた。

いつか、ちゃんと字幕つきで見たい。(2001/05/04:記)


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