ジョージ・A・ロメロは語る
私は、ストーリーは持続しているにしても、政治的な意味で、映画をつねに最新なものにしたいと思っているのです。
~映画パンフレットより抜粋~
<以下ネタバレ>
初見の時は、どうしても人間の主人公ライリー(サイモン・ベイカー)と、ゾンビのリーダーであるビッグ・ダディ(ユージン・クラーク)をメインに見てしまった。
2度目の今回は、カウフマン(デニス・ホッパー)とチョロ(ジョン・レグイザモ)の関係性に注意してみた。
カウフマンがブッシュなら、チョロは明らかにビン・ラディン=アル・カイーダだ。
ロメロの凄いところは、チョロと個人主義者ライリー(=賃金労働者=米国人代表?)を和解させながら、チョロを傭兵からゾンビ(=純粋プロレタリアート)に変身させつつ、支配階級であるカウフマンと直接対決させているところだ。一連の描写は、誤解の余地なく明快である。
素直に見れば、まるで、チョロ=ビン・ラディン=アルカイーダに対し、ほんとうの敵であるカウフマン=ブッシュをなんとかしろよ!とアジっているようにしか見えないのだ!なんてラジカル!
さらに凄いところは、そのチョロとカウフマンの対決シーンの前後に、ビッグ・ダディ=ゾンビ=プロレタリアートをがっちりからませているところだ。
つまり、支配階級とテロリストのいわば内ゲバを、ほかでもないゾンビ=プロレタリアートに決着させているわけだ。
これは現実に望まれる「ファンタジー描写」として、普遍的な夢といっていいのではないだろうか・・・。