それは、パブリック・イメージである「タリバン」と、著者が取材した「タリバン」との落差に、著者自身が(怒りまではいかなくても)義憤を感じていることが、本の原動力になっているように感じたからだ。
それはそれとして、あとがきの関川夏央が酷すぎる。著者の前作と比較したいがために「広報」なんていまさらなワードで「大仏破壊」の壮絶な情報戦を異化したつもりなっているところが著者にたいして失礼きわまりない。そもそも「大仏破壊」は、前作でとりあげらた「広報」などという甘いキーワードではおさまりきらない現実を追求している本なのではないか?決定的にダメなのは、短い感想文中で「広報」する主体が考察の対象になっていない点だ。そんなだからあっさり「日本」という単語が「広報」の主語として使われているありさまである。憂国の士きどりなんだろうか?こんな程度の感想文なら、むしろなにも載せないほうがよっぽどありがたい。勘弁してくれ!