ついに米国にて夏公開! Minority Report ■2002/12/04 改稿:08/28 初校■ 脳内映画館で期待と妄想に満ちながら幸せに暮らしていた3年間は、この日静かに終わった。 映画が始まって1時間としばらくは、夢見た以上の素晴らしい映像が次から次へと展開し、まさに至福の瞬間が連続していた。トム・クルーズは哀しい過去を引きずり、ドラッグ中毒になりながらも、仕事を命と働き続ける。俺の仕事は正しい。たとえ俺の体がドラッグ中毒となっても、荒んだ毎日をおくっていても、人殺しのない世界を支える俺の仕事は正しい!そんな自暴自棄と自己犠牲が入り混じったトム君の過酷な毎日。ところが、ある日!なんと、疑うことすら考えられない当のシステムから、彼は「有罪」の宣告を受けてしまう。彼の全人生でもあったはずのシステムから有罪の宣告を受けてしまったのだ! 信じられん!システムに間違いはないはずだ。…?!俺は、はめられた!そうだ、はめられたに違いない! かくして逃走が始まる!昨日までの同僚は、今や自分を追いかける敵となった!うおおお!凄いぞ凄い!なんてすごいシーンの連続だ! _____以下は、鑑賞後にお読みください____つうか…____ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ みごとに映像化された未来の交通機関を存分に活用した、かつてないアクション・シーン!凄いぞ!どうなるんだ!ああ! が、アドレナリン噴出アクション・シーンの最後、高所から飛び降りたトム・クルーズは、ハデな落下シーンの最後をぶざまにも着地失敗して、体を二つに折ってひっくりかえってしまった。 まるでヨガのポーズだ…カメラがひく…カメラがひく…と、そこはヨガ教室だった…。…。…。 ......(゚Д゚)ハァ? なんだ…今のシーンは? そう、すべてはその瞬間に終わった。 映画がすべて終わって数時間後、冷静に振りかえってみた時、実はそれ以前にも、そのての「ギャグ」が存在していたことに気づかざるを得ないのだが、哀しいかなその瞬間まで素直一直線に感動していた俺は、そのあまりにあからさまで幼児的なギャグを目撃するまで、ギャグをギャグと認識できていなかったのだ。 あまりの衝撃に俺は、ただただ呆然となってしまったのだ。 そう、そうなのだ。 そう…なのだが、あのヨガのギャグはまさに一撃必殺、一刀両断だった。それまでの張り詰めた緊張感を、もののみごとにきれいサッパリ奪い去ってしまった。 涙が出そうなほど感心していたアクション・シーンに突如として挿入されたその「なんちゃって」なギャグ…、あまりに幼児的な見たまんまのお寒いお笑いは…、真面目に映像にどっぷり浸かっていた俺の脳天に、いきなりギンギンに冷えきった水をぶっかけられたかのような、激しい屈辱感を与えてくれた。 その脱力感の凄まじさは、映画が終わってしばらく、「マイノリティ・レポート」の「マイノリティ」の意味が、原作と映画で違うことに気づくまで、ずいぶん時間がかかってしまったほどだ。 映画の「マイノリティ」は、原作の「マイノリティ」と意味が違う。 というかまったくの別物だ。 映画ではシステムを利用した陰謀話がずるずると進行するばかりで、原作で明快だった「マイノリティ」の謎解きの瞬間=クライマックスが存在しない! 完璧だったはずのシステムに、思わぬ穴があった!…その痛快な論理的どんでん返しがきれいサッパリ欠落しているのだ。 詳しくはぜひ原作を読んでいただきたいが、原作の面白いところは、そもそも話の大前提である「プレコグ」を利用した警察システム自体に、思わぬ構造的な落とし穴があった!というのが、話を進行させる原動力であると同時に、ストーリーの痛快なオチ=クライマックスとなっているのだ。 が、なんと映画版のシステムには、その等の「マイノリティ・レポート」が持つシステムの思わぬ落とし穴…という意味が、見事なまでに欠落している。 映画版が採用したクライマックスは、システムが持つ論理的な穴を持っていた!というオチではなかった。なんと信じがたいことに、システムを運用する「人間」が悪人だったが故に、システムが悪用されていた…というオチだった。 つまり、システムよりも、運用する人間に問題があったといわんばかりの物語構造なのだ。 なんじゃそりゃ?! さらに、完璧なはずのシステムを創造した女性科学者はいちいち「ギャグ」たっぷりに描写されるマッド・サイエンティスト。事件の黒幕だった@@@が正体を現わすその後の展開は、あまりにもステレオタイプでお約束な流れのため、意外性というものがまるでない。 ちがうぞ。ぜんぜん違うぞ。まったくもって、さっぱり違うぞ。 人間の業も何も、驚きもくそもない。生半可なフィルム・ノワール志向は映像美だけで、肝心のストーリーは、三流スリラーも裸足で逃げ出すパターン爆発のおそまつさだ。あまりにハリウッド的な誤読としか、いいようがない。おそらく、論理的な矛盾が明らかになる瞬間では、映画のクライマックスとして弱いと判断した結果、あのステレオタイプな善玉と悪玉の直接対決をクライマックスとしたに違いない。映画史に残る名優とハリウッド・スターの「静かな演技合戦」ってわけだ。 誰かさんの愚かな勘違いの結果、そもそものことの始まりだった「プレコグ」による未来予測を使った警察システムという物語の大前提であった(荒唐無稽だけれどもいかにもSFらしい)面白い設定は、ちゅうぶらりんのまま、たいそういいかげんにサッパリうち捨てられる。 映画版でシステムが破棄された理由は、システムを運用する人間が「悪い人」だったからだ…というふうにしか見えないのだ。 巨額の資金が投じられ、ある程度実績もあげ続けたシステムが、上層部の、システム設計者の重要人物がワルだったというだけで破棄される。こんなバカげた子供じみた結末を、どう信じろというのか? 映画の致命的な勘違いは、ここにある。これはノワールでもなんでもない。 現実には、システムの上層部がワルであることなど少しも珍しいことではない(ちゅうか、上層部の正しい人が正しい倫理的な意思決定の元に正しいシステム運用したためしがあるのかよ?)、たとえシステムに論理的な穴があり、公の場でそれが論理的に批判されたとしても、プロジェクトが進行し続けることなど日常茶飯事ではないか。 もっとはっきりいってしまえば、システムを運営する人間が悪人とわかったが故に、そのシステムが破棄されたことなど、歴史上皆無なのではないか? 一度動き出したシステムというものは、たとえそれが悪い結果ばかり生み出そうが、誰の目にもそれが失敗とわかっていようが、何人もの犠牲者が頻発してもなおずるずると続いてしまうものではないのか?システムが壊れるには、関係する人間が悪いだけでは、理由にならないのだ。 原作のフィクションとしての「エンターテインメント」、「ドラマのクライマックス」は、まさにそこにあった。 完璧なはずのシステムに現れた「マイノリティ・レポート」…それは、当のシステムを人間が運用する以上、必然的に発生せざるを得ない「論理的な罠」だった。それが原作の要だった。悪人うんぬんはまったく無関係なのだ。 SFの面白さはそこにある。善意が呼び起こす悪夢。「マイノリティ」の面白さはそもそも単純な論理的などんでん返しなのだ。 それが、映画版ではあの「悪人」である。 そう、これはもう犯罪的なまでに原作を踏みにじった大失敗作である。 あまりにもみごとな前半1時間、素晴らしい未来社会のビジュアルセンスと、ノワールぽい映像処理とは裏腹に、そのストーリーはまるで中学生のオツム並の浅はかさ…。 このまるで糞のような愚作にくらべると、やはりヴァーホーベンの「トータル・リコール」の悪意に満ち満ちたストーリーこそ、ディックの映画化として、見事だったといえよう。 氏んでくれ。スピルバーグ。 … 「ピンキー&ブレイン」を実写にするまでは許さん。 ぜったいに許さんぞ。 (泣きながら…2002/09/08 →静かに怒りながら…2002/12/04改定・校正) ■2002/06/21■もはや何度見たかわからんぞ、予告編第参弾。本編ついに米国にて公開。草葉の陰でディック導師は喜ばれているのではなかろうか…。あああ〜見たいよぉ〜(泣 ■2002/04/02■オフィシャル・サイトより、トレーラー第弐弾公開の旨、メールあり。さっそく拝見。感動。あああ!早くみたい!日本では2003年公開か? ■2002/01/10■トム・クルーズがキューブリックの遺作に出演し、スピルバーグがキューブリック脚本を映像化してしまった20世紀末、またもや幻の企画と化したか…と半ばあきらめかけていたところ、なんと!オフィシャル・サイト発見!しかもトレーラーまで完成済み! まるでヴァーホーベン監督の「スターシップ・トルーパーズ」を連想させる制服を着たトム・クルーズが、「シンドラーのリスト」チックな渋い撮影で、いつものゴーマン演技をかます!ああ!でもキャラ(=演技?)あってるよ!イメージぴったし!うっわあ!凄い追っかけシーンじゃねえか!ってなことで夜中に一人大興奮。 2001年夏に公開されたゲイリー・シニーズ主演の「クローン imposter 」は、あまりに正当派な作りで、ヴァーホーベンのような暴走が見られなかったせいか、痛烈な結末にも関わらず新鮮味が感じられず、作品に好感を抱きながらも、実は大層がっかりしている自分になんだか疲れてしまったのだが、今回は期待にたがわぬ傑作に違いない!ああ、もう早く見たいよう! ■2001/03/04■その後、スピルバーグは「A.I.」を完成させたが、どうしたのかなぁ… ■2000/08/28■ほんとにできるのかよぉ〜? imdbによると、john Cohen と Scott Frank の脚本で2002年公開予定になってました。スピルバーグにトム・クルーズじゃダメかな、やっぱり…。 ■1999/01/22■P.K.ディック The Minority Report 映画化。監督・製作はスピルバーグ 「ブレードランナー」「トータル・リコール」「スクリーマーズ」「バルジョーでいこう!(戦争が終わり世界の終わりが始まった)NON SF」と続いた5本目のディック映画化(SFなら4本めってことだ)は、なんとスピル監督! しかも原作は 「 The Minority Report 」(新潮文庫「悪夢機械」内「少数報告」のタイトルで訳あり)という渋い短編!! 警察国家でのプレコグ(予知能力者)がらみの連続どんでん返しというストーリーは、傑作長編「ユービック」(早川文庫)等、いかにもディックらしいネタとサスペンス展開。 ディック・エッセンスの映画化という点では、かつての映画化作品は、すべて失敗作(言い切ってやる!)である。ブレードランナーも例外ではない。 たった1本、濃厚なディック味に目眩を覚えた真の傑作は、サンダンスで賞をとった低予算オリジナル脚本の映画「ディックの悩める日々」(監督がディック・マニア!)だったことを思うと、ハリウッド・メジャー=スピルバーグに対しては、不安も不安、大不安ではあるが、何しろ素材が「 The Minority Report 」なら、あああああああああ・・・・やっぱり不安だ。でも早く観たいぞ!ちきしょー!!! |
「悪夢機械」 新潮文庫 (1982初版) 朝倉久志 編訳 収録 「少数報告」 (1956年作) P257〜324 |