「ラースと、その彼女」は、客に媚びていない。
繊細かつ骨太な正気と狂気の直球描写。
それにしてもなんという斜め上の語り口だろう!
宣伝されているような「恋」の話ではない。
劇場出口で、どっかのOL軍団が「途中からドン引きしちゃったあ~」
とぬかしておったが、ラブストーリーを期待して見に来た観客には
ある意味しかたない反応かもしれない。
ラースを冷たく突き放ちながら見守ることをやめない女医のキャラは、
映画の語り口のスタンスそのままだ。
平凡でまともな兄貴。
ラースを文字通り愛情で押しつぶしてしまう兄嫁w
野次馬の同僚。
さみしがりやのヒロイン(人形じゃないほうw)。
初老の女医(超カッケー)www
どのキャラもセリフではなく、さりげない衣装や小道具、脇キャラとの描写ですべてが「映像化」されて説明されている。みごとに論理的だ。説教臭いといってもいいくらい真っ当だ。
だが、その説教臭さをぶち砕くような「生々しい」ギャグが、上品かつ繊細に配置されているところがすごい。みごとだ。SEX目的のリアル・ドール、兄嫁の妊婦姿。死と生。性と愛。すべてが、セリフではなく「映像」でもって語られている。そこには、ウケだけが狙いのギャグも、奇抜なだけが目的と化したような設定も、理解不能な異常な行動などひとつもない。
すべては、ラースの孤独な闘いを容赦なく描写するためだ。
さらに、描かれるエピソードはすべて観客の主体性を試すかのように
二面性を持ったままフラットに描写されている。
ラースを正気ととるか狂人とみなすか
どちらでも解釈できるように繊細な描写が淡々と続く。
映画がはじまる前に、だらだらと流れた邦画の予告編が、すべて「異常なキャラ」が「非日常」の中で「ひとつのストーリー」に収斂しなければ映画はなりたたないかのような頭の悪そうなものばかりなのとくらべると、あまりにも違いすぎるw
善意によって狂気が生まれ、
善意によって正気はとりもどされる。
映画に登場するキャラクターは全員、
「善」であろうとするリアルな人々であって、薄っぺらな「善人」ではない。
そのあたりの描写もすばらしい。
劇場用パンフ¥700(税込)
クローネンバーグも大好きな弁証法が、ここにもある!
それにしてもカナダの冬景色のすばらしいことよwwww