Never Let Me Go
Kazuo Ishiguro
土屋政雄=訳
早川書房 ¥1,800+税 (借りて読んだから¥0)
2006/4/20初版
キャシーはヘールシャムと呼ばれる施設で生まれ育った。
施設で仲の良かったのは、ルースとトミー。
いつも仲間に囲まれていた活発なルースに、
癇癪を爆発させては孤独だったトミー。そして…
以下ちょいネタバレ…
ヘールシャムの謎がほのめかされる前半、キャシーの繊細な心情描写にえらいひっぱられた。
が、前半ですこしづつ明らかになるヘールシャムの謎には最初戸惑った。つうよりしらけてしまった。同じネタを、もっとグロテスクに、より大スケールで、豪快に話を展開させた「〇〇〇ー〇」を連想してしまったのだ。というか連想するなというほうが無理だ。
リアリスティックに展開される心情描写と、ジャンル小説ではおなじみの物語設定のギャップに、どうにも違和感を感じて苦しまされた。心情描写がリアリスティクに描かれれば描かれるほど、背景の書割が邪魔になってしかたないのだ。
そんなわけで、中盤から後半、ラストの解決篇に至るまで、印象は二転三転する。途中からは、ものたりない背景の設定だけ「〇〇〇ー〇」の姉妹編だと読み替え、もっぱら3人の人間関係だけに焦点を絞って読んだ。
ということもあって、結局読了後の印象はすごくよかったりしたし傑作だと思った一方で、「少女まんが」じゃねえかこりゃ?というつっこみ衝動も抑えきれなかった。甘い。どうにも甘い。それもこれもすべての原因は、結局あまりにもぬるい「物語設定」だ。何年も前に読んだ娯楽大作の「〇〇〇ー〇」前半は、同じ設定ながらより鬼畜で過酷な状況をクールに描ききっていた。その分、文学的繊細さなどかけらもなかったわけだがw
「〇〇〇ー〇」を原案にしたと思われる映画が・・・●●●●●なのだが、映画はまったくもってダメダメな出来だった。
小説ではなく映画だけれども code46 を思い出した。ディストピア社会ネタとして消化不良具合の印象が似ている。人間関係描写の繊細さからいったら「わたし・・・」のほうが上手だが、どっちにせよ素直におもしろがれない。なにかひっかかる…。
帯に短し、襷に長し。命短し、恋せよ乙女…
ううう。
以下、タイトル明記w
追記:
ネットで検索すると、クローン・ネタに関するネタのつっこみがどれも通り一遍のぬるい評ばかりですっかりしらけてしまった。おまけに、「わたしを離さないで」と「スペアーズ」の2語でぐぐったらなんと1件しかヒットしなかった。
http://www.uporeke.com/pukiwiki.php?%C6%C9%BD%F1%C9%F4%C2%E814%B2%F3
読後時間がたつにつれ、SF的な設定の半端加減がだんだん癇に障ってきたw マイケル・マーシャル・スミスの「スペアーズ Spares」は、文学じゃなくてエンタテインメントだが、「わたし…」よりもずっと過酷なクローン人間の地獄が描写されていた。それを思えば、「わたしを…」のSF設定は、寓意としての仕掛けとしても単なる書き割りな印象しか残らない。ネットでいろいろ見た評の中で典型的なのが「…ありきたりな設定で、すばらしい傑作を書いた…」という流れの感想文だったが、「ありきたり」って簡単にジャンルを貶めやがって「文学」だったら傑作なのかぁ!権威に弱い中学生か、おまえら!って、僻み根性が炸裂してしまうわけだ。
SFファンとしてはとっくに卒業してしまったが、やはりかつて世話になった古巣をバカにしたかのようなテキストを目にすると、感情をゆさぶられるわけだ。SFは、おれにとってのヘールシャムみたいなもんだからな。
うまくまとまったw