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ヨコハマメリー

[ movie ]

ヨコハマメリー
渋谷アップリンクX 21:00 土曜のみレイトショー 当日券 ¥1,800
30人強、20代前半?客層 ほぼ90%の盛況ぶり。

地道なヒットも納得な、不思議なドキュメンタリーだった。
まさに驚愕のラスト。

昼間、グエムルを有楽町のスバル座で見たことをほぼ忘れたw

いや、まったく予想外の構成。ほとんど伝聞中心で、本人が滔滔と喋るシーンなんて皆無。主役であるメリーさんの細かい事情は、最後の最後までほぼ謎のまま(!)にも関わらず、なんかものすごいものを見せられた衝撃が残る。

俗にいう「権威」や「権力」とは無縁な人たちの声から浮かび上がる「歴史」。しかも主人公のメリーさんは「すでに横浜から消えて久しい」という状況。映画は、地道な周辺取材から、思わぬかたちで「歴史」をうかびあがらせる。エスノメソドロジー的取材といっていいのか?なんか違うような気もするけど、どうでもいいやw

映画で大きな位置を占めるシャンソン歌手である永登源次郎氏(2004年逝去)の歌う「マイウェイ」にも驚かされた。永登さんの歌う「マイウェイ」は、シナトラでもシドでも越路でもない、まったく違う、今の今まで聞いたこともないやさしい「マイウェイ」だった。すごい。

メリーさんが通っていた、ルナ美容室のオーナーのエピソードもすごい。これはぜひ映画で直接「聞いて」ほしい。

ほかにもいろいろあるわけだが、そんなこんなでラスト・シーン。

見ているものに対して「泣かせよう」とか「説得しよう」とかそういった「邪念」から、懸命に距離をかせごうとする製作者側の清々しい心意気が伝わってくる見事な編集だった。

ドキュメンタリーという表現形式では、製作者の「事実」を伝えたいという客観性と、「ドラマ」を語りたいという主観の葛藤および矛盾は避けようもない必然だ。映画がおもしろければおもしろいほど、そこに映される被写体よりも、被写体を映している製作者のほうが表現されてしまうところが、ドキュメンタリーのおもしろいところだ。

中村監督の視線の先は、メリーさんを軸にしながら、ヨコハマという街へ注がれているようだ。人ではなく、街を描こうと奮闘努力したのだ。その結果として、映画のタイトルでもあるメリーさんへの絶妙の距離感が生じたのだと思う。結果として、それは最後の最後までプラスな方向へ映画を導いている。

ヨコハマメリーのラスト・シーンは、そんな矛盾(=力学)を厳しく自覚したうえで試みられた、みごとな「編集・演出」だった。

重い内容にもかかわらず、気持ちよく劇場をあとにできた不思議な傑作だった。

みごとです。

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2006年09月09日 23:36に投稿されたエントリーのページです。

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